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スタッフインタビュー

仕事内容

画像の説明  私の職種は、相談支援専門員です。那須町の委託相談も受けています。那須町は人口3万人にも満たない小さな町ですが、隣の那須塩原市や大田原市に足を運ぶことも度々あります。そもそも相談支援専門員とはどんな仕事をしているのでしょうか。介護保険で言うケアマネジャーさんに基本的には似ていると思います。仕事の内容としては、身体、精神、知的、児童あらゆる障害に関する相談を受け、障害手帳取得のために申請や判定にお連れしたり、福祉サービスに繋げたりするお手伝いや、対象の方のサービス等利用計画を作成しています。障害がなくても引きこもっている方を関係機関との連携によってどう社会に送り出してゆくかなどにも携わっています。今関わっている方は16年引きこもっていました。この頃、「フリースペース那須」という地域の集まりにやっと将棋をしに来られるようになっています。あと何年かかるかわからないのですが信頼関係を築き、就労までつなげられたらと思っています。
H23年4月「マ・メゾン光星障害福祉相談支援センター」を開設しまし、翌24年4月制度改正の趣旨により「指定相談支援事業所ノエル」と名前を変えて現在に至っています。

仕事の面白いところ、やりがい

画像の説明 私は40年前東京の重症心身障害児施設に保育士として5年間働いていましたが、故郷が那須町なので縁あって光星学園(現マ・メゾン光星)に就職しました。その後、入所施設で働いたのち、通所部生活介護事業の立ち上げに関わらせて頂き、そして相談業務にたどり着きました。「置かれた所で咲きなさい」という言葉は好きな言葉です。仕事が面白いと感じる時は福祉サービスに繋がった方がその場所でイキイキと生きている姿を見たときです。時として困難ケースに巻き込まれることがあります。そんなときは深呼吸をしてその道のプロに教えを請い解決を目指します。役場、社協、包括支援センター、子育て支援センター、事業所、病院、警察、学校、家族などの社会資源と上手に連携したいと思っています。
今までにもいろいろなケースに携わってきました。ここで数人の方をご紹介しましょう。
Hさんは刑務所から帰って住む所がなく橋の下に住んでいました。その後、先祖の墓守をしながら、文字通りお墓の前のバラックに住んでいたHさん。寒い朝、用水路で自転車ごと突っ込んで亡くなっていました。また、Aさんもすでに亡くなりましたが、フーテンの寅さんのように自由自在に地域を歩き回っていました。何度も線路の上を歩いていて「何とかしろ」とJRから苦情の電話が入りました。自分を受け入れてくれる家だけを回ってお茶をご馳走になっていました。「あっちへ行け」といじめられた人の家には石を投げて帰ってくるのです。ある日の夕方、Aさんを探しに出かけた高齢の母親はAさんの目の前で交通事故に遭い亡くなってしまいました。その後Aさんは似たよう車を見ると大声で怒鳴りつけていました。また、ある前科9犯の知的障害の方を支援したとき「こんなとこにいられっか」と飛び出していったのですが、今は何故か片道20キロの道を自転車で汗をかきかきやってってくるのです。この方は飛び出した後自分一人で仕事とアパートを見つけ今では地域で堂々と生活しています。その方の持っている生きる力の力強さには驚かされます。担当を若いのにしろと憎まれ口を叩きながらも近況を話していかれるのです(とっくの昔担当は外れています。心の中の叫び・・・しばらくはおばさんで我慢してください。こちとら役割でやっているのでございますから・・・)。
この頃は介護保険と障害のサービスを併用して利用される人や2歳というキラキラした目を持つ児童の相談も増えてきました。相談を受ける時に心掛けていることはその方の良いところを見出し、希望につながるかけらを少しでも見出して帰っていかれるようにと耳をダンボにしてお話をお伺いします。朝礼の時にみんなで声を合わせて唱和する慈生会の誓いの中の「一つひとつを丁寧におこないます」。をこれからも心の中に響かせていきたいと思っています。

休日の過ごし方

画像の説明 私はポロローンという余韻の残るあのギターの音色に惹かれています。20代頃習い始めたものの、子育てで中断、中年になって再びギターをケースから取り出しました。その他、プール、図書館,映画館、私にとって居間心地の良い場所は沢山あります。最近はまっているのは落語です。特に志ん朝さんの艶のある歯切れのよい語り口に唸っております。今日も機嫌良く暮らし、与えられた役割を少しでも果たしてゆきたいと思う今日この頃です。

社会福祉法人慈生会

〒165-0022
東京都中野区江古田3-15-2
TEL 03-3387-5567
FAX 03-3387-5556
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